晩秋の越後

晩秋の越後3日前、仕事のために東京に出てきました。写真は越後奥寂庵を出る際に撮影した風景です。里の山々は紅葉で美しいですが、関越トンネルに向かう運転中に、大分白くなった谷川岳が視界に入り、もう冬が来ていることが分かりました。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で有名な小説「雪国」の世界が、またやってきます。

晩秋の越後東京との行き来は大分慣れているはずなのに、今回は、久しぶりに不思議な感覚に陥りました。東京に着いて、自分のオフィス、行きつけのスーパーなどの場所でリアリティを感じにくいのです。何処に何があるかを身体は知っていて、何不自由なく反射的にものを取ったり行動することはできるのですが、「何か」を越後に置き忘れたような、言葉にならない感覚です。クライアントさん、参加者の方々、スタッフと関わる際は、その不思議な感覚はなくなり、何処に居ようと関係なく意識を向けることができるので、仕事には全く支障が出ませんし、有意義な時間を過ごしています。しかし、一人になると何処か色褪せているのです。

晩秋の越後東京の方がある意味、刺激が強いにもかかわらず、色褪せて感じるというのも不思議です。簡単に言えば「おのぼりさん状態」なのかもしれません。幼少期も含めて、東京や神奈川で過ごした期間が長いにもかかわらず、自分が「おのぼりさん状態」になるとは興味深いです。それだけ越後という「場」とのつながりが強くなっているのでしょう。

晩秋の越後

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