高山辰雄展

親の付き添いでの病院からの帰り道、天気がいいので砧公園に寄ると「人間・高山辰雄展 森羅万象への道」の看板が目に入り、吸い込まれるように世田谷美術館館内へ。

企画展のタイトルにも惹かれましたが、高山辰雄氏は、東山魁夷氏、杉山寧氏とともに「日展三山」と称され、日本画の最高峰として人気と実力を誇ったとのことですから、どのような作風なのか興味を持ちました。

観賞してみての印象は、高山氏自身の言葉「私は人間が描きたいのです。その『人間』というのは、私には風景でも花でもいいのです。つまり、花びら一枚でも人間を表したいと思ってきたのです」、そのものでした。

私の大好きな東山魁夷の作風とはある意味、真逆に感じました。東山魁夷氏の絵から感じるのは、人間の深層にある静謐さです。それは感情や本能より深層にある生死(個)を超えた性質、自然や風景と相通じるものが私たちの内奥にもあることを感じさせてくれる絵なのです。「場のいのち」を感じさせてくれると言ってもいいでしょう。かたや高山氏の絵を前にすると、描かれている人物のなかにあるエネルギーのうねりを感じ、観ている私の無意識も呼応して動き出すのを感じるのです。たとえ、植物や花の絵を前にしても同じでした。高山氏の描く人物には、表情が殆どありません。能面のような無表情だからこそ、迫ってくるものを感じるのです。また、観る者によって想起される感情は異なることでしょう。

能面のような無表情さ、無表現の在り方だからこそ、エネルギーが内側にため込まれ、そのうねりが非言語レベルで放出されているのが見事に絵に顕れているのです。作風からもゴーギャンに影響を受けているのは明白ですが、このような表現方法はまさに日本的です。そういう意味でも日本画の最高峰なのでしょう。ゴッホの絵からもうねりは感じますが、高山氏の絵から感じるうねりは隠喩的なのです。そこが日本的なのです。

東山魁夷氏の絵のように、静謐さを蘇らせ、心を穏やかにしてくれる絵ではないので、誰に対してもお勧めする企画展ではありませんが、無意識的なうねりを感じてみたい方にはお勧めします。

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