日本家屋と日本的な質

十日町で、地元農家が育てた夏野菜の苗と、地元で人気の種を買い揃え、食材を買って奥寂庵に戻りました。畑の状態を確かめたのちに、何の作業から始めるか算段しながら、車から荷物を家に運び込みました。

「今日は草の刈り払いと、ジャガイモの脇芽欠きだな」と心のなかで呟いていたその時です。ポツポツと雨が降り出し、あれよという間に雨脚が強まりました。ここまで雨脚が強まってしまっては、外仕事は諦めざるを得ません。

空気替えのために全開にした窓をそのままにして、箒とちりとりで屋内の掃除をしていましたが、「算段していた目的」がなくなったことでマインドが鎮まっていきました。マインドが鎮まると、窓の外からの気配が心に浸み入ってきました。

屋根に当たる雨音、沢の水音に蛙の合唱、ツバメ、ホトトギス、ウグイスなどの鳥の声、土や草木が雨に濡れたにおい、ひんやりした湿気を帯びた冷気などなど…。

窓を開け放った日本家屋に同調するかのように、自分の感受性も開かれ、心身の境界が曖昧になり、自分の内側で自然の質、静けさを味わうような感覚になりした。この感覚に魅せられ続けています。その質を味わうために、わざわざここに庵を構えたほどですから。

「自然との対話」という表現がありますが、ここに居ると、この表現は当てはまりません。対象を客観視しなければ対話になりませんから。このように境界が曖昧になり、同化していくことによって物事を理解するというのは、本当に日本的な質ですね。

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