ご挨拶
ここは、雪深い越後の風土に根ざした「せがい造り」の築100年の古民家を、後の世にも伝えられるよう、一度解体し、基礎から丁寧に組み直した再生の空間です。今では入手困難な太い欅(けやき)がふんだんに使われ、柱や梁に、時を超えた力強さとぬくもりが宿っています。日本の良き父性と母性が静かに同居する、そんな包容力を感じる佇まいです。
「築100年」と聞いて衛生面を心配される方もいるかもしれません。けれど、ここは「懐かしさ」と「快適さ」を融合させた場所。3箇所の水洗トイレはいずれもウォシュレット付きで、木材にはドイツの厳しい規格をクリアした無公害塗料を採用。壁はクロスや新建材を使わず、昔ながらの漆喰を丁寧に塗り上げています。さらに、1階の床下には大量の炭を敷き詰め、空間全体が落ち着いたエネルギーに包まれています。
滞在するうちに感じるのは、人里離れた聖地の「静けさ」とは少し異なる、大地に抱かれるような力強さと、母性に包まれるようなぬくもり。
ここは、雪解け水に育まれた豊饒の地。
人々の暮らしのなかには、やさしさやあたたかさ、そして懐の深さが、静かに息づいています。この風土に身を委ねていると、大地の感触と呼応するように、意識は次第に外側の役割を離れ、内奥へと沈んでいきます。
この地域には、「じょんのび」という言葉があります。ゆったりと、のんびりと、芯からほどけていくような在り方を指す方言です。忙しさや緊張が前景から退き、気づけば、心とからだが自然な呼吸を取り戻している。そんな時間が、この土地には流れています。
静けさに身を置くうちに、自己のリズムが整い、内なる静寂が、言葉を伴わずに立ち上がってくることもあります。
心の奥へ、ただ、還るために。
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私が「越後奥寂庵」という場所に辿り着いたのには、ひとつの流れがありました。
1993年、東京・明大前駅から徒歩3分のマンションに、最初のセッションルームを開設しました。選んだ理由は、来訪者にとってのアクセスのよさ、夜道の安全性、そして身体を動かしたり声を出しても近隣に迷惑をかけない環境が整っていたからです。静かで機能的なその空間は、長年にわたり私の仕事の拠点となりました。2011年の東日本大震災をきっかけに、より深く人と向き合う場の必要性を感じ、セッションに加えて少人数の講座も開けるよう、隣駅・永福町にオフィスを移転。現在の活動へとつながっていきます。
「リズムセラピー研究所」としての現在の名称に至る前、私は長く「インナーサイレンス(Inner Silence)」という名のもと、セッションを行っていました。その名に込めたのは、私自身が体験してきた“静寂”への敬意と希求です。
1992年、信州の山奥の過疎地で1年間のボディワーク合宿に参加したとき、自然の静けさのなかで心身が深く緩む体験をしました。さらにその後、5年間にわたるボディサイコセラピーの学びのなかで、生命エネルギー(氣)が満ちる感覚、空っぽなのに充ちているという逆説的な平安、波一つ立たない湖面のような内的静寂を知りました。この深い体験をもとに、「空間」と「ワーク」の両方から人を支える場を持ちたい。そんな思いが、かつての屋号「インナーサイレンス」に込められていたのです。
2006年からは音楽とリズムを心理療法に取り入れ、社会との接点を広げるべく「リズムセラピー研究所」に改名しましたが、内面の静寂を重んじる姿勢は変わらず、むしろその願いはより深くなっていきました。
本当の「インナーサイレンス」は、都市の喧噪のなかでも保たれるのが理想です。けれど、その感覚を内側に根づかせるためには、まずは適切な環境が必要です。宗教を問わず、内観の場として寺院や修道院が日常と切り離された場所にあるのは、それゆえでしょう。
1993年から明大前でのセッションを続けるなか、私自身が魂の震えるような場所――利便性や経済性を一切排し、妥協せずに探し求めたその地こそが、越後の山間にありました。
2007年、ようやくその地に出会い、2008年、再生古民家を手に入れたとき、私はその場にこう名づけました。
「越後奥寂庵」――Inner Silence Hermitage。
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古民家を探しはじめたとき、私は直感的に、西洋化や観光地化から距離を置いた土地を求めていました。日本人の原風景が息づき、霊性に触れられる場所。信州の山間部をいくつも巡りました。築200年の古民家に滞在したこともありましたが、どれも理想には届かず、土地の力と建物の質、その両方が響き合うような場所に出会うことはできませんでした。
多くの古民家を訪ねるうちに、私は気づきました。古民家とは、単なる建物ではなく、日本人の精神構造と霊性そのものの象(かたち)であることに。縁側、土間、上がり框、大黒柱、敷居、襖、障子、間、囲炉裏、上座敷、奥座敷、床の間、離れ――。それらの細部に、日本人の美意識、身体感覚、暮らしの精神が凝縮されているのです。
その中でも、越後の古民家には格別のものがありました。豪雪に耐えるため、太く頑丈な柱や梁が使われ、天井は高く、空間には張りつめた静けさとあたたかさが同居しています。やがて私は、越後という土地に惹かれるようになっていきました。
それは、単に建築の魅力だけではありませんでした。越後には、日本人の霊性に深く関わる偉人たちが、かつて暮らしていました。親鸞、白隠、日蓮、良寛、上杉謙信――。彼らに共通するのは、既成の枠組みにとらわれず、自らの内奥の声に従ってこの地で自己を深めたという点です。そして、そのような自己を静かに受け入れる「大地性」こそが、この越後にはあるのだと感じたのです。
それは、縄文の記憶をたたえた風土の響きかもしれません。実際、周辺からは縄文土器が多く出土しており、数千年の時を経た「いのちの記憶」が大地に刻まれています。縄文時代は、弥生から現代までの数倍、数十倍にも及ぶ時の蓄積をもつ文化です。その深層は、現代を生きる私たちの身体や感覚にもなお、響いています。
仏教学者・鈴木大拙はその著書『日本的霊性』のなかで、越後の「大地性」に着目しました。哲学者・梅原猛もまた、『日本の霊性──越後・佐渡を歩く』のなかで、縄文文化の根源的な意義を説いています。
越後は、私にとって「場所」ではなく、「響き」であり、「源泉」でした。
だからこそ、ここに拠点を構え、「越後奥寂庵」と名づけたのです。

庵主 贄川治樹