親鸞仏教センター 研究交流サロン

今日は、親鸞仏教センター研究交流サロンに、場の研究所研究員として参加してきました。テーマは「尊厳死を問い直す」。

現在、国会で尊厳死法制化への動きが活性化していますが、本当に法制化が必要なのでしょうか。そのようなテーマについて、ALSという難病を患ったお母さまのケアと看取りを経験した方のお話があり、龍谷大学教授がコメントをされ、その後にサロンに参加されたジャーナリスト、医師、僧侶、弁護士、生命倫理がご専門の大学教授などが発言されました。それぞれのお立場からのご自身の体験を含めての発言は、判断を介さずに重たく響いてくるものでした。

個人的には、法制化しようとしているものは生物学的な「生命」、目に見える「生命」を起点として考えられているように思いました。法制化する場合、どうしても目に見えるもの、数値化できること、客観的に捉えるできるものが基準となるように思うのですが、<いのち>というのは目に見えないものであり、数値化できないものであり、客観的に捉えることのできないものだと思うのです。法律によって<いのち>の活きが限定されてしまうことは避けなければならないでしょう。

ただ、人間にとって自我という枠組みが必要なように、尊厳死という課題にとっても法制化もありだと思うのです。その場合、超自我のような<いのち>を抑えつける法律、一度決めたら変更できないような硬直した法律ではなく、<いのち>の活きに有機的に添っていけるような柔軟性を含むものが相応しいと思います。なぜなら、<いのち>の活きは、瞬間瞬間に自然発生的、即興的に湧き上がるものですから。

そして尊厳死に関しては、法制化ということだけではなく、本人、ご家族、そして介護者など、死を間近にした人と、その人に関わるすべての人が、死を受容することが何より大事に思いました。あくまでその場で向き合うのは、生身の身近な人達ですから。

いろいろなことを考えさせられた時間でした。

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