自己を超えて、自己に還る

日本的霊性は、
自己を確立し、世界を制御しようとする力とは、
少し異なるところから育まれてきました。

自我を強く打ち立てるのではなく、
むしろ、その輪郭をゆるめることで、
世界との隔たりを薄くしていく。

自然、他者、出来事──

それらを「対象」として捉える以前に、
すでに共に在るものとして感じ取る感性。

そこでは、
「私が生きている」という感覚よりも、
「生かされている」という実感が、
静かに身体の底から立ち上がってきます。

私を手放すことは、
自己を失うことではありません。

むしろ、
役割や思い込みとしての「私」がほどけることで、
本来の自己との親和性が回復していく過程
なのかもしれません。

大地への信頼

大地に身を預けるということ

日本的霊性は、
理念や思想として先に構築されたものではなく、
風土のなかで、
生きる営みとして培われてきました。

とりわけ日本海側の土地は、
豪雪、湿潤な空気、重たい雲に覆われ、
人の力ではどうにもならない自然と、
日常的に向き合わざるを得ない場所です。

そこで人は、
自然を支配することを早々に諦め、
抗うことでも、屈することでもなく、
身を預けるという態度を学んできました。

この「預ける」という感覚は、
依存ではなく、信頼に近い。

人知を超えたものの働きを受け入れることで、
人はかえって、
地に足のついた生を取り戻していきます。

大地性

思考の底にあるもの

鈴木大拙が語った
「大地性」とは、
思想や信念、宗教的理解を支える、
さらに深い基層を指しています。

それは、
何かを理解する以前に、
すでに存在している確かさ

説明する前に、
証明する前に、
人の内側と世界の底で、
静かに響いている感触です。

越後の雪深い里山に身を置くと、
この大地性は、
外から与えられるものではなく、
自らの内奥にも確かに息づいている
ことに気づかされます。

思考が沈み、
役割や肩書きがほどけたとき、
人はようやく、
この大地性と再び出会うのかもしれません。


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niyekawa.com|日本的霊性について